2009年7月31日金曜日

森由希

私は北海道札幌市生まれで、今でも北海道が大好きだし
自分が道産子であることをとても誇りに思っている。
いつかは帰りたい。
北海道出身だと言うと、食べ物がおいしくていいねとよく言われるが、
一番おいしいのは空気
新千歳空港を出たときいつも思う。

子どものころからつるまない子だった。
小学生のとき最初は4人で登校していたんだけど
小5のある日そのうちの2人が喧嘩して別々に登校することになって、
もう一人がその2人の片方についたから、なんとなく私はもう一方と
一緒に登校することにした。
たぶんそっちのほうが面白いと思ったんだ。
その子とは、今でも北海道に帰ったら会っている。

でもいつでもべったりだったわけじゃない。
中学では、登校は一緒だけど帰りは一人が多かった。
クラスの女子グループに入ることもなかった。
休み時間は本ばかり読んでた。
成績は中の上か上の下くらい。

中一のとき合唱コンクールの指揮者をすることになった。
別にそんなにやりたかったわけじゃないけど
いつまでたっても学級会が終わらないから、それで立候補した。
後で担任に「森がやってくれないかなと思っていた」と
言われたけど、あぁそうかとしか思わなかった。

入学したとき2年目の新設校だったから荒れてなかったし
校舎もきれいだったし、いい中学だったと思う。

ある日の社会の授業で先生が「高校に行っても図工がなくなるくらいで
今の時間割とほとんど変わらない」と言ったのを聞いて愕然として
それで高専に行くことにした。
こんな毎日が高校に行っても続くのかと思ったら耐えられなかった。

新設校だったからもあるけど、女子でこの中学から高専に行くのは
私が最初だった。
最初父さんは反対した。家を出て下宿しなくちゃ行けないから。
経済的理由じゃなくて、やっぱり女の子だったから。
父さんを説得してくれたのはじいちゃんだった。
「自分が好きなことしてきたんだから、娘にも好きなことやらせてやれ」
と言ってくれた。
父さんはじいちゃんの電気屋を継ぐために電気関係の大学にいったんだけど
ゴルフをやりたくて大学を辞めて、ゴルフレッスンの会社を興した。
だから、じいちゃんの言うことは正しい。

私が入った情報工学科は40人中女子は6人、卒業するときは28人になってた。
高専の5年間は楽しかった。
自由だったし、授業も自分にあってた。
だから成績は常に3位くらいだった。
吹奏楽部に入って、最初はアルトサックスを吹いていたけれど
部長になって、部員が少なくて、また指揮者をすることになった。
この先またすることになるかもしれない、2度あることは3度ある。

4年生のときに女子寮ができて、最後の2年間だけ入った。
寮生活はまぁ普通。校舎まで近くていいくらい。
寮での一番の思い出は、9.11をテレビで生で見ていたことかな。

父さんと高専行く条件として大学に編入することを約束していたから、
最初から大学に編入するつもりだった。
5年間情報工学科にいるうちに、なんか別のことをしてみたくなった。
それで工学部じゃなくて理学部に入ろうと思った。なんとなく。
それで高専からの編入を受け付けている理学部がある東工大を受けることにした。
この高専から東工大の工学部に編入した人はたくさんいたけど、
理学部に編入したのは私が初めてだった。
次の初めてはなんだろうな。2度あることは3度ある。

東工大の理学部に編入する場合、3年次じゃなくて2年次編入になる。
今でも同じ学年の物理学科の女の子達には感謝している。
編入生の私を普通に本当に当たり前のように
最初から一緒みたいに仲良くしてくれた。
なんだろうな。高専のときもそうだったけど理工学部にいる女の子って
さばさばしていて、すごく気持ちがいい。
学部時代はよくバイトしていたし、よく遊んでいた。
多くはないけど、この先も定期的に会うだろう友達もできた。
それから、大切な人に出会うことができた。

これで森由希の話はおしまい。ここからは案西由希の話だから。

2 件のコメント:

  1. 僕は北海道に一度行きたいけど、時間が無いし、遠いしやはり行けないですね。北海道はきれいらしい?

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  2. ご結婚されているのでしょうか!?旧姓が森という事でしょうか…

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